終末のハーレムから、GTOを思い出した話
終末のハーレムという漫画をご存じだろうか。
◆週末のハーレムとは
時は2040年。難病に侵された青年・怜人は幼馴染の絵理沙と再会を誓い、病を治すためコールドスリープする。 そして5年後──。目覚めた怜人を待っていたのは99.9%の男が死滅し50億人の女性が生きる世界だった…! 近未来エロティックサスペンス開幕!
ジャンプ+で連載中の漫画。隔週日曜に最新話に更新される。
作画がエロ漫画家ということもあって、素晴らしい女体が描かれている。
男が生き残っていないというのが何を意味するのか。
それは女が生き残りの男を取り合う、つまりハーレムだ。
女性だけでは人口は増えないため、作中でも人口を増やすために、政府が主人公に女性をあてがい子作りをさせようとする。
しかし主人公にはコールドスリープ前から好意を寄せている女性がいる。
ハーレムを目前として、そんな主人公がとった行動は
相手が好意を寄せている女性じゃないからと断る
いーーーーーーーーーーーーーーーからそういうの!
読者が求めてるのはそういうことじゃないから。
ハーレムなめてんの???
最近はこのヘタレ主人公が出番がなくて、他の生き残りの男がハーレムしてて、やっと読者が求めるものを理解してきたかという感じ。
主人公が早く覚醒するのも求ム。
という話を女性に話した。
ドン引きしていた。
27歳にもなるとエロについて話をするということに抵抗がなくなる。
小学生の頃は、エロいの大好き!なんて言えなかった。
今は、「ポニョ、エロ、好きー」である。
こんなことを考えていたら、小学生の頃の罰ゲーム「GTO」を思い出してしまったので紹介したい。
つまるところGTOという漫画を読む、というだけなのだけど。
◆GTOとは
『GTO』(ジーティーオー)は、藤沢とおるによる日本の漫画。講談社『週刊少年マガジン』において、1997年2号から2002年9号まで掲載された。
かつて最強の不良「鬼爆」として湘南に君臨した鬼塚英吉は、辻堂高校を中退後、優羅志亜(ユーラシア)大学に替え玉試験で入学した。彼は持ち前の体力と度胸、純粋な一途さと若干の不純な動機で、教師を目指した。
無茶苦茶だが、目先の理屈よりも「ものの道理」を通そうとする鬼塚の行為に東京吉祥学苑理事長の桜井良子が目を付け、ある事情を隠して中等部の教員として採用する。学園内に蔓延する不正義や生徒内に淀むイジメの問題、そして何より体面や体裁に振り回され、臭いものに蓋をして見て見ぬ振りをしてしまう大人たち、それを信じられなくなって屈折してしまった子どもたち。この学園には様々な問題が山積していたのである。
桜井は、鬼塚が問題に真っ向からぶつかり、豪快な力技で解決してくれることに一縷の望みを託したのであった。
作品タイトルの「GTO」はGreat Teacher Onizuka(グレート ティーチャー オニヅカ)の頭文字を取ったもの。
付け加えるならちょっとエッチな漫画であるということ。
アニメもやったし、ドラマも反町隆史・松嶋菜々子出演で大ヒットした。
言いたいことも言えないこんな世の中はポイズンである。
(2012年にEXILEのAKIRA主演でドラマ化した何かあったらしいけど、詳しくは知らない)
◆なぜGTOを読むことが罰ゲームなのか
このGTOという漫画が僕の小学生の頃に罰ゲームとして使われた。
その内容は罰ゲームとして「GTO」を読ませるというもの
???
どこが罰ゲームなのかと思われるかもしれない。
大事なのはこの罰ゲームが使われたのが小学生の時ということ。細かく言うと小学3年生の頃であった。
エロに興味はあるが、興味があることを周りにバレるのは恥ずかしい
そういうお年頃なのだ。
一部この時期から「エロ大好き」と公言するエロ魔人もいたが、少数派である。
小学3年生なんて道に落ちているエロ本を通り過ぎるときに横目でチラ見するくらいしかエロに触れる機会はない。
ちょっとエッチな漫画が載っている漫画週刊誌(マガジンとか)を買うという手も考えられたが、当時の僕らのおこづかいでは、月刊誌であるコロコロコミックを買うのが精いっぱいであった。
(コロコロコミックには大正義「魔動天使うんポコ(作:江川達也)」があったが、僕が小学生1年の時には連載が終了しており、それ以降お色気枠はなかったと思う)
同級生でありながらエロに接する機会が多い人種も存在する。「兄がいる」者たちである。
歳の離れた兄貴を持つ同級生ではDVD経験者までいた。格差社会である。
◆罰ゲーム「GTO」ができるまでの流れ
僕の友人に「あっちゃん」という男がいた。彼には4つ上のお兄さんがおり、家に遊びに行くとジャンプ、マガジンやサンデーが転がっているという、素晴らしい環境を持っていた。
あっちゃんの家に遊びに行き、NINTENDO64の「ゴールデンアイ007」というゲームで遊んでいた(確か)。
64は最大で4人までしか遊べない。その時は5人いて、誰かは遊べないという状況だった。
こういう状況の場合、最下位であった人間が次回に参加できないというルールになることは自然な流れである。
つまり、最下位にならなければずっと遊んでいられる。
必然、みんな本気である。
負けると他の友人がゲームで遊んでいるのをその対戦が終わるまで見ていなくてはいけない。
最下位になった友人Aが突然こう言った。
「最下位の奴は次回の対戦に参加できない+罰ゲームでGTO読むことにしようぜ」
天才かと思った。
普通にGTOを読めば「うわーこいつエロだー!」と100%いじられる。
次の学校で他の友人にばらされるかもしれない。
「みんなGTOなんてエロい漫画を読みたくないでしょ」という建前のもと、「GTOを読むこと」を罰ゲームとして扱うことで、「読みたくないけど、読まざるを得ない」状況を作り出す。
エロに興味がないという名誉(?)を守りつつ、エロに触れることができる。
誰も不幸にならない。
罰ゲームとは名ばかりのご褒美なのだから。
そこからの対戦は非常に白熱したものになった。
あっちゃんは読もうと思えばいつでもGTOを読めるのだから、そこまでであったが、そのような恵まれた環境にいない残り4人は、積極的に、でもそれがバレないように負けようとした。
・積極的に撃たれにいく
・敵に遭遇しても銃を外しまくる
は勿論のこと、
・センサー爆弾を壁に設置し、「そこに設置したのを忘れた」ということにして自爆する
などの戦術も駆使され、わざと、でもそれがバレないように死にまくった。
であった。
このような経緯で罰ゲーム「GTO」が誕生した。
時代が時代であれば、間違いなくAは歴史に名を残していたに違いない。
◆まとめ
僕が小学3年生の頃の罰ゲーム「GTO」について説明した。
何故このような罰ゲームが誕生したのかというと、やはり
・エロに興味あるけど、あると思われたくない
・エロに触れる機会がない
という2点が原因だと思う。
今の子供たちもやはりエロいと思われることを恥ずかしいと感じているのかは分からないが、ネット・スマホ全盛のこの時代、いくらでもエロに触れることはできるだろう。
彼らはいつでもどこでもエロにアクセスできる環境にいる。そんな彼らには大人になった時に工夫を凝らし「エロ」に関わろうとした思い出はきっとない。可哀想な世代だ。
(本音:今の子供たちが恵まれすぎてて悔しい)