井の中の中井、世界を知らず

よいしょー!と力む人

 

会社のトイレ大に籠ってスマホをいじっていたのである。

 

会社の中で一番落ち着くのがトイレなので僕はしょっちゅうトイレに籠る。

小も座ってやる派の人間だから、ちょっとした時間があったらすぐ籠る。

 

今日もいつものようにくつろいでいたら隣の個室に誰かが入った。

ズボンを下ろし、ため息と共に座る音が聞こえる。

 

「よいしょー!」

 

 

??!

 

 

ビックリした。

隣の個室に入った人が急に叫んだのだから。

何だ?よいしょー!って。力んだのか?

 

トイレ大するときに力んで声が出てしまうことはある。

「んっ(小声)///」みたいな。

でも可能な限り、声は出したくない。

声を押し切る。

 

個室でこんなにはっきりと言葉を聞き取ったのは初めてだ。

 

個室で声を出すことのデメリットはやはり、誰が個室に入っているのか特定される可能性があることである。

特に会社ではその可能性が非常に高い。

個室のいいところは周りから見られないことだが、逆に周りは見ることができない。

つまり声を出してしまうと、その場に知り合いがいたらバレてしまうのである。

 

そのような中で「よいしょー!」と発するなど豪気以外の何物でもない。

 

個室に入ってるときに社用携帯に電話がかかってくることがある。

普通は「はい。○○株式会社の中井です」とするところを

個室に入っている時は

小声で「はい」しか答えない。名前すら名乗らないとは社会人失格であるが、

社会人のマナー<会社での尊厳 である。

声をではなく、名前まで喋ってしまうと流石に情報を公開しすぎな気がする。

 

まぁもう社会人にもなればウンコをしていたことが分かったとて何も起こらない。あいつウンコしてたぜー!とか言う輩はいない。みんな大人だから。

それでもトイレの中に入っていると周りの人にバレるのは恥ずかしい。可能なら誰にも知られたくない。

 

 

何故彼はよいしょー!などと叫んだのか。

もしかしたらウンコをするときの音をかき消したかったのかもしれない。

セルフ音姫である。

ぶr「よいしょーーーーーーー!!!!」というように被せる。

 

ウンコの音を聞かれるのと、よいしょー!を聞かれるの、どちらが恥ずかしいのかは分からないけども。なんだったらどちらも聞かれてダブルで恥ずかしくなる可能性のほうが高いけども。

 

 

 

 

Insertキー不要論

 

Insertキーって何のため存在してるの?

 

PC関係のエンジニアの人たちって

・理論的

・無駄をなくす

・美しさにこだわる

みたいな イメージがる。

THE理系って感じ。

 

プログラムも動けばいいってもんじゃなくて、美しいコードとかアルゴリズムにこだわっているでしょ。

Appleとかはいかにおしゃれかつ機能的にするかこだわっているでしょ。

 

うんうん。こだわりは重要だね。神は細部に宿るからね。

 

そんなところよりInsertキーを何とかしなさいよ

 

 

【Insertキーって邪魔じゃない?】

間違えて押すんだよ!

そもそもInsertキーって知ってる?

Insertキーが押されていないOFFの状態のときは、挿入モードになる。

 

「今日は|眠いので帰りたい」 (|はカーソル位置)

の状態から「とても」と打つと

「今日はとても|眠いので帰りたい」

ってなる。

すごく自然だ。文章の途中で単語を追加したいときに使う。

 

これがInsertキーを押してしまってONの時は上書きモードになる。

「今日は|眠いので帰りたい」

の状態から「とても」と打つと

「今日はとても|で帰りたい」

となる。「眠いの」が「とても」で上書きされてしまう。

意味わからん。

 

いるか?この機能?

消したい文字あったら普通にBackspaceかDeleteで消すわ。

「文字を入力しつつ、文字を消すことができるので時間短縮できる」ってか?

二兎を追う者は一兎をも得ずってことわざ知らんのか?

 

ゆうてInsertにもね、役に立つ機会があると思うんだよね。

僕はInsertが大嫌いだから興味ないし調べないけど、多分あるはず。

 

分かった。Insertがないと生きていけないよ、っていう人もいると思うから、要る派/要らない派の人たちが共存できる道を探そう。

 

 

【キーの位置を変える】

大体さ、Insertキーの位置が悪すぎるのが問題だと思うんだよね。

 

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嫌がらせか?嫌がらせなのか?

何でBackspaceとDeleteキーのすぐ近くにあるんだよ。

文字消すときに間違えて押すんだよ。

BackspaceとDeleteなんてしょっちゅう使うキーの側に配置すんなよ。

 

だから普段使わない領域に配置しよ?

キーボードの端の端とか。

「俺はこれからInsertを使うぞ!」って人しか押さないような位置にしよ?

「え?こんなところにキーあったんだ?」って位置にしよ?

 

 

【複数キーの組み合わせ】

正直僕はInsertの位置を変えるだけでは生ぬるいと思う。

 

Insertの位置を変えたとて間違えて押してしまう可能性は無きにしも非ず。

 

複数のキーの組み合わせでON/OFF切り替える、のがベストじゃないかな。

 

例えば「Ctrl+C:コピー」、「Ctrl+V:ペースト」みたいに2種類以上のキーを同時に押すことによってInsertのON/OFFが切り替えられれば、間違えて押す可能性は低くなる。

 

Ctrl+Insert とかどうよ。

 

まだ温い?

 

Shift+Ctrl+Fn+Insertは?

 

もうちょい?

 

Shift+Ctrl+Fn+Alt+Enter+NumLock+半角/全角+Insert

 

うん、これでいこう。(試してみたら指がツイスターみたいになった)

 

 

という訳で、たった今からInsertのON/OFFは

Shift+Ctrl+Fn+Alt+Enter+NumLock+半角/全角+Insert

の同時押しとなりましたことをお知らせします。

エレベータの開ボタンを押すのは下っ端のお仕事です

 

エレベータから人が出るとき、開ボタンを押し続ける場合があるじゃん?

これって何のためにするかというと、勿論エレベータから人が降りきる前にドアが閉まるのを防ぐためにある。

10人が同じ階で降りようと思ったら、誰かが開ボタンを押さないかぎり誰かがドアに挟まれる。

 

つまり、つまりよ?

 

人数が少ないときはわざわざ開ボタン押さなくてよくない?

 

なーに当たり前のこと言ってんだってのは分かる。

 

何でこんなこと当たり前のこと言っているのかというと、2人しかいないのに開ボタンを押す人がいるからです。

 

 

僕の職場は6階にある。

 

なのでエレベータを頻繁に使う。1日に5回は使う。

 

後輩、同期、先輩、上司、名も知らぬ目上の人、色んな人が乗る。

 

僕は入社3年目なので会社ピラミッドのほぼ最下層にいる。

カーストで言ったら奴隷なのである。

 

そんな奴隷のエレベータ内でのお仕事と言ったら、ピラミッド上位の方々が気持ちよく自分の階に降りれるように開ボタンを押し続けること。

 

これは仕方ないし別に嫌でもない。

 

逆に目上の人に開ボタンを押させてしまうと若干申し訳ない気持ちにすらなる。

 

僕と目上の人の2人だけでエレベータに乗ることがある。

降りる階は一緒。

 

エレベータの中に2人しかいないからさ、開ボタン押さなくてもいいって思うじゃん?

だから僕は開ボタンの前にすら立たないでエレベータの奥に行く。

ドア開いたら先に降りてもらってから自分が降りればいいって考えてる。

 

でもさ、たまに開ボタン押して「僕に先どうぞ」ってしてくれる人がいるのね。

 

いやいやいやいや、早く降りて?

 

押してくれる気遣いはありがたいよ?

でも、その気遣いはいらないよ?

逆に気を遣わせてるよ?

 

目上の人に開ボタン押させて一人先に出てくる若造になってるよ僕

 

これ目上の人にやられると逆に自分の礼儀がなってないんじゃないかって気になる。

「すみません」って一言いってから降りる。

何で謝ってるの僕。

 

2人しかいないんだから先に降りればいいじゃんよー

そしたら次僕降りるからさー

 

高層ビルで働いたらドラマが始まるしかない

 

高層ビルに憧れる

 

だってかっこいいじゃん。

スーツをビシッと決めて、革靴で早歩きで高層ビルの中に入っていく。

そこで仕事をする。

 

ぐぅかっこいい。

 

エリートサラリーマン感がでる。

仕事ができる気分になる。

 

ちなみに僕は運動靴にジーパン、ダウンにリュックという格好で会社に行っている。どうみてもエリートサラリーマンではありません。本当にありがとうございました。

 

職場も高層ビルではない。そして周りに高い建物も特にない。クソダサい建物だ。で、なぜか敷地は無駄にある。何に使うのその敷地。

いらんわ横の長さは。縦に伸びんかい。

高層ビルにならんかい。

 

 

仕事をする上で気分って重要じゃないですか?

 

特に残業するときにいかに気分よく仕事するかが重要だと思う。

やっぱりお家に帰りたいじゃない。帰ってビール飲みながらバラエティ番組見たいじゃないですか。

 

割増賃金になるといっても微々たるものじゃん? Time is moneyな訳じゃん? Timeを消費するくらいならmoneyなんて必要最低限しかいらない訳じゃん?

そんな残業をどれだけ気持ちよくできるかって重要だ。

 

もし僕が高層ビルで働いていて残業することになったら、ブラインドを上げて仕事をする。周りのビルの明かりを見ながら、

「俺以外にもこんなに遅くまで仕事を頑張ってるやつらがいるんだな。負けてられないな。よしもうひと頑張りするか」

 

想像しただけで気分がいい。

ドラマみたいだ。

辛いはずの残業がドラマのワンシーンになる。

 

そのうち後輩女性社員が来て

 

「お疲れ様です。まだ残ってたんですか?私が最後だと思ってました。中井さんも飲みますか?」

って眠眠打破を渡される。

 

「ありがとう。お前もあまり根詰めすぎるなよ?」

「先輩ほど大変じゃないですよ。倒れないでくださいね先輩(笑」

(注:僕は一大プロジェクトを任されていて、そのプレゼンが迫っていて毎日残業している設定)

 

絶対この後ラブが始まるじゃん。始まるしかないじゃんこの展開。同僚という立場から恋人という立場にステップアップするじゃん。

 

あー俺も高層ビルで働いていたらこういう経験もできたのになー

僕の初いいねを君に捧ぐ

何歳?どこ住み?てかfacebookやってる?

 

Facebookをやってる人は結構いるんじゃないでしょうか。

僕もやっている。

 

友達が少ない人には利用しにくいツールである。僕は友達が少ない

Facebook上に友達は113人いるけど、その中で僕が一緒に遊んだりしてた人は15人くらいだと思う。その他は学校や会社などのコミュニティが一緒だったってだけの人達だ。

 

2010年の7月に開始したんだけど(メールアドレスに送られてきた利用開始メールを確認した)一度も投稿したことがない。

まず面倒くさい。

そして別に投稿したいことがない。

投稿に対して何の反応もなく人望がないこと現実を突きつけられるのが怖い。

「いいね」とかコメントがどれだけ付くかが人望のようなバロメーターになってる気がする。

 

あとFacebookの投稿を見てると

「旅行に行きました!」

「気のおけない仲間たちと久しぶりの再会!やっぱりお前ら最高だわ!」

「恋人と1周年記念日だよ♡」

 

みたいな「私の生活、充実してます!」感がすごい。

 

そんな中に

「仕事マジだる。弊社つぶれろ」

花澤香菜の声たまらんな」

「上司事故らねぇかな」

「ひとかな(花澤香菜のラジオ)に投稿してみようかな」

「俺の人生、はねるには宝くじが当たるしかないんや。頼む」

とか投稿できんでしょ。

 

いや僕だって私生活充実してるよ?

してるけど、わざわざ皆さんに公開しようとは思わんなぁ。

いや本当に充実はしてるんだよ?

 

あと勝手に誕生日を通知するのやめてくれない?

「ねぇねぇこの人誕生日だよ!お祝いしてあげようよ!」

って勝手にみんなに触れ回って

「あ、そうなんだ。おめでとう(社交辞令)」

って反応が返ってくる。

 

悲しいわ!

 

それが嫌で自分の誕生日付近になるとプロフィールから誕生日の情報を消す。(自意識過剰)

 

 

僕は一度も「いいね」を押したことがない。つまり「いいね童貞」である

 

友人・先輩の結婚に関する投稿に対しては本当に「いいね!」と思ったけど結局押さなかった。これを逃した時点で恐らくもう押す機会はない。終身いいね童貞確定だ。

 

まぁいいけどね。一度いいね押したらこれからずっとくだらない投稿に対してもいいね押さなくちゃいけない気がしてしまうし。

「お前はあんなくだらない投稿にはいいねしたくせに俺の『異業種交流会しました!色んな人達と人脈ができた!日々成長!』の投稿にはいいねしないのか」

と思われるのも嫌だしな。(自意識過剰)

 

うっせ!そんなんで人脈できるかボケ!

なんて言えないしな。

 

でもいつか僕も「いいね」する機会が来るのかな。

 

びびっとくるようなに投稿に出逢って、こんな気持ちになるのは初めてで、僕から猛アプローチをかけて、でも経験値が足りなすぎて、いろいろ失敗して、だけど君は笑ってくれて、たどたどしいながらも僕から告白して、お付き合いを始めて、初体験(いいねを押す)をする機会があるのかな。

 

僕の初いいねはまだ見ぬ「君」に捧げる

 

【映画】「ローマの休日」の感想

ローマの休日を見た。
モノクロ映画だったけど、古臭さくはなかった。
 
 
◆あらすじ
ヨーロッパを訪問中だった某国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、滞在中の
ローマにて王女という立場に嫌気がさしヒステリーを起こし、城を抜け出す。
ヒステリーを収めるために鎮痛剤を打たれていたアンは道端のベンチで寝てしまう。
そこに新聞記者のジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)が通りかかる。
アンのことを放っておけないジョーはアンを自分の家に連れ帰り一泊させる。
翌朝になり、アンが王女であることに気づいたジョーは王女の素顔・スクープ写真を撮るべくアンと共にローマの街を巡ることに。
 
 
本当に王女?
 
って感じで話は進んでいく。
 
王女なんてやりたくないと従者達に駄々をこねる。
 
いくら鎮静剤を打たれていて支離滅裂の状態とはいえ、見知らぬ男の家に泊まる。
 
自分の正体がばれていないと思いタバコを吸う。
 
スクーターで街の中を暴走する。
 
真実の口に突っ込んだジョーの手が食いちぎられたってのを真に受ける。
 
 
アホな子なのかな???(可愛い)
 
 
 
◆悲恋だけど、重くない(褒めてます)
こんなアホな子なので案の定スクープ写真を撮られまくる。
 
でもジョーは結局この写真を公表するようなことはしない。
ジョー良い奴。
 
ジョーとアンの間には恋心のようなものが芽生えるが、最終的には王女という立場もあり別れてしまう。
「身分の差による別れ」ってのはよくある話やね。
 
これだけ見ると悲恋なんだけど、見終わった後に悲し過ぎて落ち込んだりはしない。
 
ジョーとアンが一緒に過ごすのは1日だけ。
その中でさらに、互いに恋心のようなものが芽生えるのは終わりの方。
この「一緒に過ごした時間が短い」おかげでいい意味であっさりした観後感になっている。
 
これが愛し合って何か月、数々の試練を乗り越え、逃避行を経ての別れとかだったら
めっちゃ落ち込む自信がある。
ためが大きいほど、その反動はデカいからね。
 
個人的な好みの問題だけどライトな終わりでgood。
 
あとは、ラストの記者会見でアンが王女としてジョーアービングを含む記者たちの前で言った
「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」
というセリフ。
この映画のすべてがこのセリフに集約されてるともいえる。
 
これは記者の「どの街が一番良かったか」という問いに対するアンの回答。
王女という立場を考えれば、「ローマ」と特定の街だけを褒めるようなことは
避けるべき。
だがしかし、そんな立場でありながらもアンは
「たった1日だけだったけど、あなたと過ごしたローマの休日は私にとって永遠に忘れることができない思い出になりました」
ということをどうしてもジョーに伝えたかった。
 
恋よりも王女という立場を選んだのは変わりはない。
仕方のないことだ。
自分の意志だけではどうにもならない程の王女というのは大きな責務である。
 
きっとジョーも理解しているだろう。
それでもどこかで「自分との恋<王女という仕事」となってしまったことに
寂しさのようなものを抱いていたのではないではないだろうか。
そんなジョーに、このセリフは救いとなったはずである。

サッカー選手によるエネルギー問題解決法

サッカー選手って吹っ飛びすぎじゃないですか?

 

まぁそんなにサッカーの試合見ないけど。

ワールドカップとか大きな大会の時しか見ないニワカだけど。

 

たまに「え、ちょっと身体がぶつかっただけで吹っ飛びすぎじゃない?」ってシーンを見る。

 

明らかに物理がおかしい。

 

体をぶつけられたら、その勢いによって吹っ飛ばされる距離が決まるじゃん?

10の勢いでぶつけられたら、ふっとばされる勢いも10くらいになるはずじゃん?

 

彼らは10の勢いで体をぶつけられたら12くらいの勢いでふっとんでる。

で、すごく痛がる。

 

これは一体どういうことなのだろう。

考えてみて、答えが出た。

 

サッカー選手はエネルギー保存の法則を無視することができる

 

この世にはエネルギー保存の法則というものある。

エネルギーの状態が変わっても、その総量は変わらないというもの。

だから本来ぶつけられた運動エネルギーは保存されて、だいたい同じ勢いで吹っ飛ばされるはずなの。

だけど彼らは違う。

勢いが大きくなっている。無から有を生み出している。加速しているのだ。

 

エネルギー保存則を無視している。

これはすごいことだよ。

 

うまいことサッカー選手を使えばエネルギー問題が解決できる。

 

エネルギーには

位置エネルギー」「運動エネルギー」「熱エネルギー」「電気エネルギー」「化学エネルギー」「光エネルギー」「核エネルギー」

などがある。

これらのエネルギーはそれぞれ変換できる。

 

つまり圧倒的運動エネルギーを得ることができればエネルギー問題も解決する。

そしてサッカー選手の物理を超えた加速を使えばそれが可能なのだ。

 

観察してみるとサッカー選手はどんな状況でもエネルギー保存則を無視できるわけではないらしい。

 

どうやら敵チームのプレイヤーと身体の一部が接触するときに、自分の速度を加速させることができるらしい。しかもその後転ばなくてはならない。

 

つまり、AチームのプレイヤーとBチームのプレイヤーを1列に交互に並べて

Aの選手がBの選手にタックルすると、Bは加速されながら転び次のAにタックルすることになる。Aは転びつつ、さらに加速され次のBにタックル、Bはさらに加速され・・・

というように

A→B→A→B→A→B→A→B・・・

と繰り返していけばプレイヤーが転ぶスピードは加速度的に速くなっていき、いつか速度は無限になる。

 

質量m、速度vとしたとき運動エネルギーE=1/2mv^2であらわされる。つまり速度が無限とはエネルギーが無限ということになる。

 

環境負荷なし。クリーンで無限のエネルギー。

ノーベル賞もんやで。

 

いや制限があることを忘れていた。

敵プレイヤーと接触すればいいというものではない。

つまりフィールドという特殊な聖域の中でのみ物理を無視することができる。

サッカーフィールドは最大でも120m×90mほど、さらに11人対11人の計22人という縛りがある。先ほどの仮定ではA,Bチームのメンバーは十分に多いことを仮定していた。

一度ぶつかると速度が1.2 倍になるとすると、

22人では最終的に初速の46倍にしかならない。人間が出せる速度には限界がある。

ボルトは時速37.6kmで走るという。46倍にすると時速1730kmほど。

サッカー選手加速装置を使ってもマッハ1.4。

戦闘機より遅いじゃないか・・・。

十分速いがこんなんじゃエネルギー問題は解決できない。

 

いや、円状に配置したらどうだろう。コートの中に円形の壁を用意し、その内側に22人の選手を配置する

速度が十分速くなれば遠心力で壁を走ることも可能であるはず。

コケた瞬間、後ろから衝突されてまたコケる。

これで選手の速度は無限になるはずだ。CERNもびっくり。

 

という話をしたところ「アホか」と言われました。

どうかしていた。疲れていた。何故こんなアホみたいな妄想をしたのか。

 

 

 

人数とか、コートの中なら云々という問題ではない。

 

これは本気で試合に勝ちたいと思う選手にしか発現しない奇跡なのだから。エネルギー問題を解決しようなんて試合と関係のない考えを持っていてはこの現象は起きないのだ。

 

そんな熱い想いを持っている彼らをエネルギー問題解決の手段として考えてしまった自分が恥ずかしい。