井の中の中井、世界を知らず

エレベータの開ボタンを押すのは下っ端のお仕事です

 

エレベータから人が出るとき、開ボタンを押し続ける場合があるじゃん?

これって何のためにするかというと、勿論エレベータから人が降りきる前にドアが閉まるのを防ぐためにある。

10人が同じ階で降りようと思ったら、誰かが開ボタンを押さないかぎり誰かがドアに挟まれる。

 

つまり、つまりよ?

 

人数が少ないときはわざわざ開ボタン押さなくてよくない?

 

なーに当たり前のこと言ってんだってのは分かる。

 

何でこんなこと当たり前のこと言っているのかというと、2人しかいないのに開ボタンを押す人がいるからです。

 

 

僕の職場は6階にある。

 

なのでエレベータを頻繁に使う。1日に5回は使う。

 

後輩、同期、先輩、上司、名も知らぬ目上の人、色んな人が乗る。

 

僕は入社3年目なので会社ピラミッドのほぼ最下層にいる。

カーストで言ったら奴隷なのである。

 

そんな奴隷のエレベータ内でのお仕事と言ったら、ピラミッド上位の方々が気持ちよく自分の階に降りれるように開ボタンを押し続けること。

 

これは仕方ないし別に嫌でもない。

 

逆に目上の人に開ボタンを押させてしまうと若干申し訳ない気持ちにすらなる。

 

僕と目上の人の2人だけでエレベータに乗ることがある。

降りる階は一緒。

 

エレベータの中に2人しかいないからさ、開ボタン押さなくてもいいって思うじゃん?

だから僕は開ボタンの前にすら立たないでエレベータの奥に行く。

ドア開いたら先に降りてもらってから自分が降りればいいって考えてる。

 

でもさ、たまに開ボタン押して「僕に先どうぞ」ってしてくれる人がいるのね。

 

いやいやいやいや、早く降りて?

 

押してくれる気遣いはありがたいよ?

でも、その気遣いはいらないよ?

逆に気を遣わせてるよ?

 

目上の人に開ボタン押させて一人先に出てくる若造になってるよ僕

 

これ目上の人にやられると逆に自分の礼儀がなってないんじゃないかって気になる。

「すみません」って一言いってから降りる。

何で謝ってるの僕。

 

2人しかいないんだから先に降りればいいじゃんよー

そしたら次僕降りるからさー

 

高層ビルで働いたらドラマが始まるしかない

 

高層ビルに憧れる

 

だってかっこいいじゃん。

スーツをビシッと決めて、革靴で早歩きで高層ビルの中に入っていく。

そこで仕事をする。

 

ぐぅかっこいい。

 

エリートサラリーマン感がでる。

仕事ができる気分になる。

 

ちなみに僕は運動靴にジーパン、ダウンにリュックという格好で会社に行っている。どうみてもエリートサラリーマンではありません。本当にありがとうございました。

 

職場も高層ビルではない。そして周りに高い建物も特にない。クソダサい建物だ。で、なぜか敷地は無駄にある。何に使うのその敷地。

いらんわ横の長さは。縦に伸びんかい。

高層ビルにならんかい。

 

 

仕事をする上で気分って重要じゃないですか?

 

特に残業するときにいかに気分よく仕事するかが重要だと思う。

やっぱりお家に帰りたいじゃない。帰ってビール飲みながらバラエティ番組見たいじゃないですか。

 

割増賃金になるといっても微々たるものじゃん? Time is moneyな訳じゃん? Timeを消費するくらいならmoneyなんて必要最低限しかいらない訳じゃん?

そんな残業をどれだけ気持ちよくできるかって重要だ。

 

もし僕が高層ビルで働いていて残業することになったら、ブラインドを上げて仕事をする。周りのビルの明かりを見ながら、

「俺以外にもこんなに遅くまで仕事を頑張ってるやつらがいるんだな。負けてられないな。よしもうひと頑張りするか」

 

想像しただけで気分がいい。

ドラマみたいだ。

辛いはずの残業がドラマのワンシーンになる。

 

そのうち後輩女性社員が来て

 

「お疲れ様です。まだ残ってたんですか?私が最後だと思ってました。中井さんも飲みますか?」

って眠眠打破を渡される。

 

「ありがとう。お前もあまり根詰めすぎるなよ?」

「先輩ほど大変じゃないですよ。倒れないでくださいね先輩(笑」

(注:僕は一大プロジェクトを任されていて、そのプレゼンが迫っていて毎日残業している設定)

 

絶対この後ラブが始まるじゃん。始まるしかないじゃんこの展開。同僚という立場から恋人という立場にステップアップするじゃん。

 

あー俺も高層ビルで働いていたらこういう経験もできたのになー

僕の初いいねを君に捧ぐ

何歳?どこ住み?てかfacebookやってる?

 

Facebookをやってる人は結構いるんじゃないでしょうか。

僕もやっている。

 

友達が少ない人には利用しにくいツールである。僕は友達が少ない

Facebook上に友達は113人いるけど、その中で僕が一緒に遊んだりしてた人は15人くらいだと思う。その他は学校や会社などのコミュニティが一緒だったってだけの人達だ。

 

2010年の7月に開始したんだけど(メールアドレスに送られてきた利用開始メールを確認した)一度も投稿したことがない。

まず面倒くさい。

そして別に投稿したいことがない。

投稿に対して何の反応もなく人望がないこと現実を突きつけられるのが怖い。

「いいね」とかコメントがどれだけ付くかが人望のようなバロメーターになってる気がする。

 

あとFacebookの投稿を見てると

「旅行に行きました!」

「気のおけない仲間たちと久しぶりの再会!やっぱりお前ら最高だわ!」

「恋人と1周年記念日だよ♡」

 

みたいな「私の生活、充実してます!」感がすごい。

 

そんな中に

「仕事マジだる。弊社つぶれろ」

花澤香菜の声たまらんな」

「上司事故らねぇかな」

「ひとかな(花澤香菜のラジオ)に投稿してみようかな」

「俺の人生、はねるには宝くじが当たるしかないんや。頼む」

とか投稿できんでしょ。

 

いや僕だって私生活充実してるよ?

してるけど、わざわざ皆さんに公開しようとは思わんなぁ。

いや本当に充実はしてるんだよ?

 

あと勝手に誕生日を通知するのやめてくれない?

「ねぇねぇこの人誕生日だよ!お祝いしてあげようよ!」

って勝手にみんなに触れ回って

「あ、そうなんだ。おめでとう(社交辞令)」

って反応が返ってくる。

 

悲しいわ!

 

それが嫌で自分の誕生日付近になるとプロフィールから誕生日の情報を消す。(自意識過剰)

 

 

僕は一度も「いいね」を押したことがない。つまり「いいね童貞」である

 

友人・先輩の結婚に関する投稿に対しては本当に「いいね!」と思ったけど結局押さなかった。これを逃した時点で恐らくもう押す機会はない。終身いいね童貞確定だ。

 

まぁいいけどね。一度いいね押したらこれからずっとくだらない投稿に対してもいいね押さなくちゃいけない気がしてしまうし。

「お前はあんなくだらない投稿にはいいねしたくせに俺の『異業種交流会しました!色んな人達と人脈ができた!日々成長!』の投稿にはいいねしないのか」

と思われるのも嫌だしな。(自意識過剰)

 

うっせ!そんなんで人脈できるかボケ!

なんて言えないしな。

 

でもいつか僕も「いいね」する機会が来るのかな。

 

びびっとくるようなに投稿に出逢って、こんな気持ちになるのは初めてで、僕から猛アプローチをかけて、でも経験値が足りなすぎて、いろいろ失敗して、だけど君は笑ってくれて、たどたどしいながらも僕から告白して、お付き合いを始めて、初体験(いいねを押す)をする機会があるのかな。

 

僕の初いいねはまだ見ぬ「君」に捧げる

 

【映画】「ローマの休日」の感想

ローマの休日を見た。
モノクロ映画だったけど、古臭さくはなかった。
 
 
◆あらすじ
ヨーロッパを訪問中だった某国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、滞在中の
ローマにて王女という立場に嫌気がさしヒステリーを起こし、城を抜け出す。
ヒステリーを収めるために鎮痛剤を打たれていたアンは道端のベンチで寝てしまう。
そこに新聞記者のジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)が通りかかる。
アンのことを放っておけないジョーはアンを自分の家に連れ帰り一泊させる。
翌朝になり、アンが王女であることに気づいたジョーは王女の素顔・スクープ写真を撮るべくアンと共にローマの街を巡ることに。
 
 
本当に王女?
 
って感じで話は進んでいく。
 
王女なんてやりたくないと従者達に駄々をこねる。
 
いくら鎮静剤を打たれていて支離滅裂の状態とはいえ、見知らぬ男の家に泊まる。
 
自分の正体がばれていないと思いタバコを吸う。
 
スクーターで街の中を暴走する。
 
真実の口に突っ込んだジョーの手が食いちぎられたってのを真に受ける。
 
 
アホな子なのかな???(可愛い)
 
 
 
◆悲恋だけど、重くない(褒めてます)
こんなアホな子なので案の定スクープ写真を撮られまくる。
 
でもジョーは結局この写真を公表するようなことはしない。
ジョー良い奴。
 
ジョーとアンの間には恋心のようなものが芽生えるが、最終的には王女という立場もあり別れてしまう。
「身分の差による別れ」ってのはよくある話やね。
 
これだけ見ると悲恋なんだけど、見終わった後に悲し過ぎて落ち込んだりはしない。
 
ジョーとアンが一緒に過ごすのは1日だけ。
その中でさらに、互いに恋心のようなものが芽生えるのは終わりの方。
この「一緒に過ごした時間が短い」おかげでいい意味であっさりした観後感になっている。
 
これが愛し合って何か月、数々の試練を乗り越え、逃避行を経ての別れとかだったら
めっちゃ落ち込む自信がある。
ためが大きいほど、その反動はデカいからね。
 
個人的な好みの問題だけどライトな終わりでgood。
 
あとは、ラストの記者会見でアンが王女としてジョーアービングを含む記者たちの前で言った
「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」
というセリフ。
この映画のすべてがこのセリフに集約されてるともいえる。
 
これは記者の「どの街が一番良かったか」という問いに対するアンの回答。
王女という立場を考えれば、「ローマ」と特定の街だけを褒めるようなことは
避けるべき。
だがしかし、そんな立場でありながらもアンは
「たった1日だけだったけど、あなたと過ごしたローマの休日は私にとって永遠に忘れることができない思い出になりました」
ということをどうしてもジョーに伝えたかった。
 
恋よりも王女という立場を選んだのは変わりはない。
仕方のないことだ。
自分の意志だけではどうにもならない程の王女というのは大きな責務である。
 
きっとジョーも理解しているだろう。
それでもどこかで「自分との恋<王女という仕事」となってしまったことに
寂しさのようなものを抱いていたのではないではないだろうか。
そんなジョーに、このセリフは救いとなったはずである。

サッカー選手によるエネルギー問題解決法

サッカー選手って吹っ飛びすぎじゃないですか?

 

まぁそんなにサッカーの試合見ないけど。

ワールドカップとか大きな大会の時しか見ないニワカだけど。

 

たまに「え、ちょっと身体がぶつかっただけで吹っ飛びすぎじゃない?」ってシーンを見る。

 

明らかに物理がおかしい。

 

体をぶつけられたら、その勢いによって吹っ飛ばされる距離が決まるじゃん?

10の勢いでぶつけられたら、ふっとばされる勢いも10くらいになるはずじゃん?

 

彼らは10の勢いで体をぶつけられたら12くらいの勢いでふっとんでる。

で、すごく痛がる。

 

これは一体どういうことなのだろう。

考えてみて、答えが出た。

 

サッカー選手はエネルギー保存の法則を無視することができる

 

この世にはエネルギー保存の法則というものある。

エネルギーの状態が変わっても、その総量は変わらないというもの。

だから本来ぶつけられた運動エネルギーは保存されて、だいたい同じ勢いで吹っ飛ばされるはずなの。

だけど彼らは違う。

勢いが大きくなっている。無から有を生み出している。加速しているのだ。

 

エネルギー保存則を無視している。

これはすごいことだよ。

 

うまいことサッカー選手を使えばエネルギー問題が解決できる。

 

エネルギーには

位置エネルギー」「運動エネルギー」「熱エネルギー」「電気エネルギー」「化学エネルギー」「光エネルギー」「核エネルギー」

などがある。

これらのエネルギーはそれぞれ変換できる。

 

つまり圧倒的運動エネルギーを得ることができればエネルギー問題も解決する。

そしてサッカー選手の物理を超えた加速を使えばそれが可能なのだ。

 

観察してみるとサッカー選手はどんな状況でもエネルギー保存則を無視できるわけではないらしい。

 

どうやら敵チームのプレイヤーと身体の一部が接触するときに、自分の速度を加速させることができるらしい。しかもその後転ばなくてはならない。

 

つまり、AチームのプレイヤーとBチームのプレイヤーを1列に交互に並べて

Aの選手がBの選手にタックルすると、Bは加速されながら転び次のAにタックルすることになる。Aは転びつつ、さらに加速され次のBにタックル、Bはさらに加速され・・・

というように

A→B→A→B→A→B→A→B・・・

と繰り返していけばプレイヤーが転ぶスピードは加速度的に速くなっていき、いつか速度は無限になる。

 

質量m、速度vとしたとき運動エネルギーE=1/2mv^2であらわされる。つまり速度が無限とはエネルギーが無限ということになる。

 

環境負荷なし。クリーンで無限のエネルギー。

ノーベル賞もんやで。

 

いや制限があることを忘れていた。

敵プレイヤーと接触すればいいというものではない。

つまりフィールドという特殊な聖域の中でのみ物理を無視することができる。

サッカーフィールドは最大でも120m×90mほど、さらに11人対11人の計22人という縛りがある。先ほどの仮定ではA,Bチームのメンバーは十分に多いことを仮定していた。

一度ぶつかると速度が1.2 倍になるとすると、

22人では最終的に初速の46倍にしかならない。人間が出せる速度には限界がある。

ボルトは時速37.6kmで走るという。46倍にすると時速1730kmほど。

サッカー選手加速装置を使ってもマッハ1.4。

戦闘機より遅いじゃないか・・・。

十分速いがこんなんじゃエネルギー問題は解決できない。

 

いや、円状に配置したらどうだろう。コートの中に円形の壁を用意し、その内側に22人の選手を配置する

速度が十分速くなれば遠心力で壁を走ることも可能であるはず。

コケた瞬間、後ろから衝突されてまたコケる。

これで選手の速度は無限になるはずだ。CERNもびっくり。

 

という話をしたところ「アホか」と言われました。

どうかしていた。疲れていた。何故こんなアホみたいな妄想をしたのか。

 

 

 

人数とか、コートの中なら云々という問題ではない。

 

これは本気で試合に勝ちたいと思う選手にしか発現しない奇跡なのだから。エネルギー問題を解決しようなんて試合と関係のない考えを持っていてはこの現象は起きないのだ。

 

そんな熱い想いを持っている彼らをエネルギー問題解決の手段として考えてしまった自分が恥ずかしい。

僕のすべてを受け入れてくれる存在。それはトイレ

自分のすべてを受け入れてくれる存在について考えたことはあるだろうか。

 

自分のことを生んでくれ、ここまで愛情を持って育ててくれた親?

星の数ほどいる異性からこの人しかいないと選んだ恋人や配偶者?

真面目な話からバカげた話まで言い合える親友?

 

僕は違うと思う。彼らにも言えない言葉、見せられない姿は存在する。

親には自分の性的な話はしたくない。

恋人には自分の情けない姿は見せたくない。

親友には・・・親友はいたことなかったわ。

 

まあとにかく、僕のすべてを受けれてくれる存在は親でも恋人でも親友でもない。

トイレだ。

 

トイレさんには相当自分をさらけ出している。

まずケツの穴をさらけ出している。

自分のケツの穴を見せる存在なんてトイレしかなくない?

今までの人生を顧みてほしい。

 

自分のケツの穴を誰かに向けたことがあるだろうか。小さい頃であれば、座薬を親に入れてもらったりすることもあったかもしれないけど、大人になってからは、まずないだろう。

 

「医者に見せることがあるだろう」

確かにそうであった。痔の手術をする人もいるし、大腸の検査をするときに、お尻から大腸カメラを入れる人もいる。

あれって医者はケツ穴をマジマジと見るんですかね。

 

とにかく「健康のため」という大義名分が存在しなくして人はケツ穴なんて見せない。

 

「風俗で舐めてもらうけど?」

おっと。そう来るとは思わなかった。僕は風俗に行ったことがないのでその線はすっかり頭から抜けていた。

僕の人生経験のなさが露呈してしまった。

すみません。

 

話はそれたが、私生活でケツ穴を見せるということはないのではないだろうか。

トイレさんにはがっつり見せている。むしろケツ穴しか見せていない。

顔は見せずにケツ穴だけ見せるのである。正体も分からない人間にケツ穴をさらけ出されていい気分な訳がない。

 

そしてケツ穴を見せるだけにとどまらず、自分の負の部分(以下ウ●コ)をひねり出す。

ウ●コをトイレさんにぶつける。

でも、トイレさんはこんな失礼な僕に何の文句も言わない。

 ただただ、僕のすべてを受け入れて水に流してくれる。汚い臭いの代名詞のウ●コをなかったことにしてくれる。

まるで僕の罪まで水に流してくれているようだ。

 

「汚いものを吐き出したから、君はキレイな存在に生まれ変わったんだ」

トイレさんはそう言っている。

 

愛だ。愛を感じる。

 

もっともっと感謝しなくてはならない。

 

そんな慈愛の心に溢れ、すべてを受け入れてくれるトイレさんだからこそ、僕は心から彼を信頼し、誰にも見せられない恥ずかしい姿(ケツ穴&ウ●コ)をさらすことができるのだ。

 

 

 

「いや、世の中にはスカ●ロというジャンルがあって、パートナーにウ●コ見せるのに喜びを覚える人もいるよ?」

 

・・・・・・・

 

うるさい。そんな特殊なケースの話はしていない。変態は帰れ。

 

唇の皮がむけたその先に

冬の何が嫌かって乾燥することよ。

 

顔がカサカサになって粉を吹いたり、水回りで作業をする人は手があかぎれになったり、のどが痛くなったり。

 

いいことねぇな!

 

僕はというと、めちゃくちゃ唇が切れる。あとむける

 

これがすごく辛い。

 

顔とか手は乾燥しないのに唇だけ乾く。

顔はどちらかというとオイリーだから

唇もオイリーだったらいいのに。

 

唇が切れると、もう口を使いたくなくなる

平日とか飯が唯一の楽しみみたいなところあるのに、食べるのが辛い。

ハンバーガーとか最悪。

 

それに、しゃべりたくなくなる

ただでさえしゃべらないのにより無口になる。

母音の「い」を使いたくない。口を横に広げたくない。「い」と「う」の中間で誤魔化す。

「うぃ」って感じ。

「きききりんのきき(樹木希林の危機)」が「くぃくぃくぃるぃんのくぃくぃ」になる。

拗ねても「いーーーーーーっだ!もう知らない!」とはならない「うぃーーーーーーっだ!もうすぃらなうぃ」になる。

 

睡眠不足も許されない。

うっかり眠くなってみ?

あくびしてジ・エンドよ。一発で目も覚めるわ。

 

あともう一つ、唇の皮がむける件ね。

これはもうね、見た目がよくない。汚い。

人を不快にさせてしまう。

唇が切れるのはよく見ないとバレないけど、皮がむけると白くなってとても目立つ。3m先からでも分かる。

家に忘れるたび買いなおすからからリップクリームが4本くらいある。

何でか分からないけど、同時に3本バッグに入ってることもある。

 

リップクリーム塗りすぎてフライドチキン食った後みたいなテカりっぷりだけど、やむなし。

 

唇の乾燥って舐めると一瞬収まるけど、これ罠だよな。より乾燥して泥沼にはまる。

皮がむける→汚いので皮を噛みきる→そこからまた皮がむける→汚いので皮を噛みきる→以下繰り返し

 

負のスパイラルが始まる。

 

でも、このスパイラルの先にパラダイスを発見した

唇の皮がむけることの唯一メリット。

それは唇が超敏感になること。

 

唇の薄皮をすべてむいた状態。その苦しみを超えた人間にだけ訪れるノースキンリップ

 

指でつついても、舐めてみても気持ちいい。

しかもこの状態になったらもうむける皮がない。つまり無敵。乾燥がなんぼのもんじゃい。

 

この状態でキスしたら多分めちゃくちゃ気持ちいい

この仮説を確かめたいので、誰でもいいのでキスさせてください。